「CG」について

“準現実”のモックアップとしてのCG

 CGは、現実らしい知覚情報を持ちながらも、現実に根拠を持たず、実体性を欠いている。
ここでは、CG環境を現実の拡張装置として捉えるのではなく、身体や社会的接続から切り離された知覚環境のモックアップとして捉える。つまり、CG ≠ 現実の拡張という観点から、その絶対的な隔絶性に論点を絞りたい。

 これは、私が3DCGを用いて恣意的に制作した架空の駅の改札口の画像である。
今日では、特段の説明がなければ、この種のCG画像は容易に“現実の拡張装置”として受け取られ、ゲーム、映画、メタバース、AR/VR、デジタルツイン・・・といった文脈に容易に接続されてしまう。あるいは、「作者の理想の場所を描いた結果」として、題材の具象的内容に終始した解釈をされてしまうかもしれない。

しかしここでは、そのような観点から距離を置き、CG空間が「現実の物理空間と因果関係を持たない」点にフォーカスしたい。

 これは『3月23日16時47分、神奈川県南部某地点』における太陽高度と太陽方位を参照して制作されているが、たしかに現実のその地点にこの空間は存在しない。しかしながら、「つまり空想の産物だから現実から隔絶されている」と言いたいのではない。仮に現実空間のその地点に、偶然にもこれと1ピクセル違わぬ画像を発生させる空間と光とカメラがあり、奇跡的に未来永劫完全に同期して推移するとしても、このCG空間自体は現実に立脚しないのである。

その絶対的な隔絶性ゆえに、“準現実”のモックアップとして機能させることが可能となる。